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「美味しい」のに「思い出されない」。多くのカフェが直面する見えない壁

こんにちは!サンマルコの毛利です。

僕は仕事柄、そして一人のコーヒー好きとして、日々たくさんのカフェに足を運びます。
その中で、いつも不思議に思うことがあるんです。

最新鋭のマシンがカウンターに輝いていて、オーナーさんの技術も本当に素晴らしい。
SNSを見れば「美味しい!」という声で溢れている。
でも、なぜか常連さんがなかなかついていないように見えるお店。

その一方で、特別な派手さはないけれど、いつも温かい空気で常連さんに愛されているお店もある。
内装もオシャレで、豆にもこだわっていて、SNSでの「いいね!」の数も多い。
それなのに、お客様の足がリピートに繋がらない。

この違いは一体どこから来るのだろう、とずっと考えてきました。

味や技術だけでは、なぜお客様の記憶に残らないのか?

一生懸命に美味しいコーヒーを追求している情熱は、同じコーヒーを愛する者として痛いほど伝わってきます。
だからこそ、その素晴らしい技術やこだわりが、お客様のリピートに繋がらない現状は、とても歯がゆく感じます。

最高の素材と最高の道具を揃えても、なぜかお客様の心には届かない。
この課題の根っこにあるのは、「評価」と「関係性」の大きな違いだと、僕は考えています。

どんなに美味しいコーヒーでも、「その場限りの感動」で終わってしまえば、お客様の日常の中ではすぐに忘れ去られてしまう。

お客様の生活に戻ったとき、そのお店を思い出すきっかけがないから、じゃないでしょうか?

つまり、
美味しいと評価はされる。

でも、誰かの記憶の一部になるような関係性が築けていない。

多くのカフェが直面しているのは、この見えない壁なのかもしれません。

ヒントはイタリアにあり。僕が現地で見た「人が自然と帰ってくる」バールの正体

では、その「壁」を越えるヒントはどこにあるのか。

僕は、その答えがイタリアの「Bar(バール)」文化にあると感じています。

仕事で何度も現地を訪れるたびに、その奥深さに感動させられます。

そこは、日本のカフェとは少し違う、人々の生活に完全に溶け込んだ場所。

朝、昼、晩と、人々が当たり前のように立ち寄り、バリスタと挨拶を交わし、エスプレッソを一杯飲んでいく。

その光景の中に、リピートされる店の本質が隠されていました。

大切なのはコーヒーの“周辺”。「覚えられている」という安心感が文化になる

バールのバリスタは、驚くほどたくさんのお客さんの顔と「いつもの一杯」を覚えています。

お客さんが店に入るなり、「チャオ!いつものね?」と声をかけ、もうエスプレッソを淹れ始めている。

お客さんも「そう、お願い!」なんて返しながら、二言三言、世間話をして、ほんの数分で店を出ていく。

「じゃあ、また後で!」と言い残して。

その言葉には、社交辞令の響きが全くありません。

 

大切なのは、コーヒーそのものの味や技術だけではない。むしろ、その周辺にあるコミュニケーションです。

「いつもの」が通じる心地よさ。

「自分のことを覚えられている」という、ささやかな安心感。

これって、日本人が昔から大切にしてきた「粋」や「阿吽の呼吸」の世界観にも、すごく似ていると思いませんか?

派手なパフォーマンスがあるわけではない。
でも、そこには確かな信頼関係と、言葉にしなくても通じ合える心地よさがある。

この文化こそが、僕たちがエスプレッソマシンという製品を通じて本当に伝えたい、
コーヒーの持つ本当の価値なのだと、イタリアに行くたびに確信するのです。

コメントで確信した、「また来たくなるカフェ」の本当の価値

ところで、
この「文化」や「関係性」の大切さについて、僕がInstagramで発信したんです。
そうしたら、まさに核心をつくような、本当に素晴らしいコメントが寄せられました。

僕がカフェという場所の可能性について考えていたことが、はっきりと裏付けられた瞬間でした。

 

きっかけの動画と、寄せられた二つの答え

▼きっかけになったInstagramのリールがこちらです。
https://www.instagram.com/reel/DK_v-qdPmPG/?igsh=MTF5eG05ZzJkYTlj

この投稿に、二人のユーザー様からこんなコメントをいただきました。

【コメント1】
お気に入りのバールがあった時は週に10回くらい通っていました。
バンコでエスプレッソを一杯、サッと頂いて。
じゃぁ、またあとで!と仕事へ行く。
好みも覚えてくれて、なんなら、入店と同時にカフェを作ってくれたり(いつもカフェ以外はほとんど頼まないから)スタッフは自分のことを覚えてくれていて、挨拶をして、二言、三言交わして。
なんなら、同じような常連さんの顔馴染みもいて。
そう言う空間が心地よかったな、、と懐かしい気持ちです。
イタリアのバール、カフェの文化ってそう言うことなのかな、と思いました。

【コメント2】
長年カフェをしてて、やっとスッキリすることを言ってくれる人がいて、なんか、安堵。
カフェ好きとか、バリスタが流行ってるが、みんな、知識なくしてる傾向。
やっぱ、やるなら文化学んでほしいですね。おじさんのつぶやき。ありがとうございました

 

味の評価を超えた、「自分の居場所」という最高の体験

これを読んだ時、深く頷かずにはいられませんでした。

一人目の方のコメントで重要なのは、そのバールが、単にコーヒーを飲む場所ではなかったということです。

そこは、「自分のことを覚えてくれているスタッフ」がいて、「顔なじみの常連さん」がいる、心地よい自分の居場所だったんですよね。

二人目の方の「文化を学んでほしい」という言葉も、本当に重い。

エスプレッソは飲み物であると同時に、その背景にはコミュニケーションの歴史=文化がある。

その根っこにある人間的な温かさを理解すること。

このお二人の声は、お客様が無意識に求めている本当の価値を、はっきりと示してくれています。

それは、味の評価を超えた、「覚えられている」という体験なのです。

 

あなたのコーヒーは「関係性」を支えていますか?

これらの気づきを経て、僕は、私たちの仕事の意味を再認識するようになりました。

僕たちの仕事は、ただ性能の良いマシンを販売することではない。
そのマシンを通じて、カフェという場所で生まれる、温かい「関係性」を支えることなんだ、と。

カフェオーナーの皆さんには、ぜひ自信を持ってほしい。

あなたの一杯は、単なる飲み物ではありません。

コーヒーは、テイスティングシートの上で評価されるためだけにあるのではなく、

誰かの日常にそっと寄り添い、人と人とをつなぐための、最高のツールです。

そう捉え直したとき、カフェという空間の可能性は、無限に広がっていくはずです。

お客様は、評価する人ではなく、共に時間を過ごすパートナーに変わります。

長く愛されているお店は、最高の味である以上に、

「あの店に行けば、あの人がいる」

「あそこに行けば、ホッとできる」

といった、ポジティブな感情とセットで思い出せる店です。

カフェができることは、美味しい飲み物を提供すること以上に、
誰かの日常に、小さくて温かい記憶をひとつ、またひとつと灯していくこと。

それこそが、SNS映えする一杯よりも、ずっと深く、大きな価値を持つ仕事なのだと、僕は信じています。

 

おわりに:最高の価値は、派手さではなく「いつも通り」に宿る

SNS映えする派手な一杯も、もちろん素晴らしい。

それも、お客様を笑顔にする大切な価値の一つです。

でも、お客様の心に本当に長く、深く残り続ける「ホンモノ感」というのは、
もっと静かで、地味で、温かいものなのかもしれません。

それは、「この店に来れば、いつもの人が、いつもの味で、いつものように迎えてくれる」という、言葉にするにはささやかすぎるくらいの安心感。

派手さはないけれど、決して揺らぐことのない「いつも通り」という価値。

私たちはこれからも、最高の性能を持つエスプレッソマシンを、情熱あるオーナー様のもとへ届け続けます。

でもそれ以上に、マシンが置かれたその場所で、数えきれないほどの温かい“記憶”が生まれる、そのお手伝いをしていきたい。心からそう願っています。

あなたのカフェで淹れる一杯は、誰かの人生の、大切な一部になっていますか?

この問いを胸に、素晴らしいカフェが日本に一台でも多く増えることを、僕は楽しみにしています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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